本日の予定はPort Madison Reservation に行ってみることです。
目次
朝食
朝食は簡単にバナナとチーズを挟んで焼いたトルティーヤと黄桃です。
これは菓子パンのようでけっこう美味しいです。
Port Madison 居住地(Suquamish Tribe) (R10)
Port Madison 居住地に住んでいるのはSuquamish Tribe です。
行政機関が集まっている一帯の一角にガソリンスタンドと食品売り場がありました。
スーパーなどは無い様子です。
ガソリン代が周りの地域より少し安いようです。
Suquamish博物館
先程のお店で聞いたこの部族の博物館へ行きました。
ここの先住民の住んでいた地域は太平洋側に面しており太平洋と太平洋に流れこむ川で漁業をおこなってきた海洋民族です。主にサケ漁をして生きていたようです。大体この地域一帯に住んでいた先住民は大抵はサケ漁をして生きていた部族が多いようです。
夏の間は漁をするために少人数で広い地域に広がりそれぞれ漁をしたり狩りをしたり食物を採集していきていました。しかし寒い冬になると人々は海岸の近くに作られた「長家=Longhouse」に集まり集団生活をして過ごしていました。これも各部族似ているところがあります。
部族民が大勢集まって共同生活をして古い知り合い達と楽しい日々を過ごしたのではないかと思います。知己の間でお祭りをしたり一緒に食事をしたりして過ごしました。
こちらの写真が昔あった「長屋」の大きさを現在の住居の写真と組み合わせて大きさを比較したものです。
Port Madison 先住民居住地の歴史
博物館の記述によると米国政府は最初ここ一帯に住んでいた先住民に居住地として50数個の土地を各家族に分け与えて農業をさせようとしたようです。ところが彼らは漁業民族だったため農業などできるはずもなく、老人達は長屋居座り続けてそこから離れようとしませんでした。そこでまた米国政府はこの昔からあった「長屋」を焼き払ってしまったのだそうです。
しばらくして彼らが農業をすることができないと判断した米国政府はこれらの先住民を「無能」だと決めつけて今度は一旦分け与えた土地を収奪。その土地に米軍基地をつくりました。しばらくして米軍基地が退去した後、米国政府は海岸に面する一番良い土地を白人の不動産開発業者に売却。元々は先住民居住地だったこの土地は白人の居住する土地になったのです。
その後日本人の移民がこの辺り一帯で農業を始めいちご産業が盛んになりました。その後太平洋戦争になり日系人が収容所に入ることになりました。そのため日系人たちは急いで農地を処分しなければならなくなりました。そこで日系人たちは彼らの元で働いていたフィリピン人に農場を譲って強制収容所に入りました。終戦後日系人たちはこの地に帰ってくることはなく、今ではフィリピン人の移民の多い地域となったのです。
前日山の上のモールのWalmart で漆黒の髪をした子供を二人見かけたのですが、あまりに見事な黒髪なのでその場に居た白人の老年女性に「この子達の髪は本物かのですか?」と聞いたのです。すると彼女はこの子達は先住民とフィリピン人のミックスだと答えたのです。傍にいた母親は彼女の娘で白人の彼女と先住民の父親の娘。その娘がフィリピン人と結婚して先ほどの漆黒の髪をした子供達が出来たものだと思います。
博物館の情報によると白人の住宅地になった「長屋」の跡地を取り戻す運動を行い一部だけ返還してもらいました。そしてそこに公園を作ったのだそうです。この返還を祝う動画までYoutube にありました。
「長屋」の跡地の公園(Suquamish Town)
上の情報を博物館の情報から知り、長屋の跡地の公園にいってみることにしました。
小さな小さな公園です。多分住宅が売りに出たのを買い取り自然の状態に戻したものと思われます。住宅4区画分ぐらいの空間です。
「長屋跡地」公園では近所の白人達が犬をつれて散歩をしたりする空間になっています。
この公園以外は高級そうな住宅がならび白人だけしかいません。近くに日光浴する二人の若い白人女性たちがいましたが観光客が来るような場所でもなく、まるでプライベートビーチのようです。
もう一つの町(Indianola Village)
Port Madison の居住地の地図上ではもう一つの町があるので行って見ることにしました。
最初に目についたのはこの長大な桟橋とその向こうに見える雪を頂いたMt.Rainier です。ため息が出るほどの素晴らしい風景です。
見渡す限りミリオンを超すような高級住宅ばかり。まさにビーチフロントの最高級住宅街です。
ビーチで遊んでいる人たちも白人ばかり。しかも少人数でこの素晴らしい風景を独占しています。
近くに居た人に「ここは先住民居住地のはずなのに先住民らしき人は全く見かけないのですが」とまた遠慮なく質問。彼の答えは「ここはReservationだけど Reservation でもない。いずれは彼らが買い戻すだろう。複雑で話すと長くなる」とそのことには触れたくない様子。
多分強制的に立ち退きになるその時までここに住み続けたい様子と受け取りました。
桟橋の向こうから住宅地を見たようす。
立ち並ぶ高級住宅。
Indianolaという先住民の地と思われる名称の町の名前。
この町の歴史が書かれた看板。
不動産業者の看板。
Port Madison 居住地の地図です。
Port Madison 居住地についての感想
Port Madison 居住地には二つの町があります。海に面しているため白人が好む高級住宅地になっています。そしてその住宅地では誰一人先住民らしき人を見かけませんでした。
Port Madison 居住地は一応先住民居住地と地図上、政治上ではなっています。しかし土地の所有者は先住民でない人が多いようです。ネットで調べると先住民団体は土地が売り出されると買い戻すようにしており最近はゴルフコース等を買い取り土地の再取得を進めているようです。最近やっと先住民が所有する土地が50%を超えたそうです。
Port Madison 居住地の行政の小さなオフィスに行き「住民が白人ばかりなのだけど先住民たちはどこに住んでいるのか」質問をするとあちこちに散らばって生活している。しかしこの町の土地は先住民の所有ではない。今土地の再取得を進めていると説明してくれました。
それは良いのですが、その小さなオフィスの壁に飾っていた写真の先住民の少女はその前に立って説明をする二人の若い女性とは全く似ていません。二人とも登録部族民だというのですが、一人はほぼ白人。もう一人はメキシコ系のようです。聞くと登録できるのは8分の一だけ部族民の血が混じっていれば部族民として登録できるそうです。曾祖父母が一人だけです。8分の一だとほぼ90%白人でも部族民になれるのです。血筋まで白人に乗っ取られてしまっているようです。それで良いのか???
Kingstonにはシアトルからフェリー
Port Madison Reservationの後は Kngston へ行きました。
この町にはシアトルの方からフェリーが来ているようです。
ちょっと素敵な港町でした。