加州03:ソルトン海周辺の居住地1

ソルトン海付近の二つの先住民居住地

翌日、すぐ近くに先住民居住地が隣り合って二つあることを確認。この地図上で青い部分はCabazon族居住地、赤い方はTwenty-Nine Palms族の居住地です。

調べてみると1876年から100年間の間同じCabazon居住地に住んでいた二つの部族が1976に分離したらしい。新しい方のTwenty-Nine Palms族の居住地はもう一つジョシュアツリー国立応援の北、Twenty-Nane Palms という町の傍に小さな領地があるようです。

違う民族で言葉と文化が違う

Cabazon族とTwenty-Nine Palms族が分かれた理由は多分もともとの民族が違うので言葉と文化が違っていたからだと思います。Cabazon族はCahuilla Indian でありChemehuevi (Southern Paiute)だからのようです。

アメリカ政府が居住地に住むように指導して登録したのですが違う民族を混ぜて適当にやったようです。一つの居住地に住む部族が必ずしも同じ民族というわけでもないのです。ですからそれぞれ独立して自分達の思い通りに生活したいという潜在的な動きがあったのかもしれません。

ミッションインディアン

Mission Indian というのはスペイン人がカリフォルニアに入ってきてカソリック教会を作る活動をしていた時に深くかかわり合った先住民の事です。宣教師と交易をしたり教会を建てるために奴隷使役をさせられたり、カソリックに改宗させられたりした先住民のことです。この名称は先住民の民族や文化の分類ではないのです。たまたまスペイン人とかかわりがあったいろいろな文化を持った先住民もまとめてミッションインディアンと言います。共通点がスペイン人のカソリック宣教師だったというわけです。

ただしモロンゴ族はスペイン人とはかかわりが無かったのにミッションインディアンになっているようです。かなり微妙な名称です。

Cabazon族のカジノ

今回行ったのはCabazon族のカジノ「Fantasy Springs Resort Casino」だけです。後で地図でみると別の区画にも行けたかもしれないのですがこの時は行きませんでした。

このCabazon 族のカジノはインディアンカジノの先駆となる有名なところです。なんでも1970年代にフロリダの先住民が最初に先住民の自治権は州法より強いという訴えで勝訴。それが一般化して広がり初め1980年代にインディアンカジノが全米でぼつぼつと出来始めました。それでも各地の州政府が税金を取ろうとしたり、州法合わないカジノの営業形態をさせないように妨害した時にCabazon族が最高裁まで行って勝訴。インディアンの自治権を大きく認める決定打を得た重要な所だそうです。インディアン居住地は自治権があり州法より強いのです。

Cabazon族のカジノと博物館

Cabazon族のカジノ「Fantasy Springs Resort Casino」の内部です。と言ってもカジノはどこに行っても似たようなものなのですが、、、。朝早く行ったのでお客さんはあまりいませんでしたね。

二階部分もありそちらには豪華なレストランもありました。

博物館があると聞いたので行って見たかったのですが、週末は閉館しています。しかも平日の閉館は4時です。平日の4時までに行ける人は多くないはず。週末にお出かけして見たい人も多いはず。もっと商売っ気を出して欲しいものです。

Twenty-Nine Palms族居住地

Cabazon族のすぐ隣にあるのがTwenty-nine Palms族の居住地です。隣にあるのは二か所あるうちの一つ。しかし二か所合わせても1.56km2 という小ささです。

この北側にある町Twenty Nine Palmsはずっと以前ドライブしたことがあります。東からこの小さな田舎町へ続く道路はザ・アメリカという感じの広い砂漠地帯を通る道路でした。印象深かったのでよく覚えています。

後で聞いたところによるとこの部族はもともとは北に住んでいたのですが、当時戦争をしており一部の部族民は南に来ていたようです。その人達が南側に定住するようになったようです。二つの領地があるのですが両方合わせても極小居住地です。

Twenty-Nine Palms族のカジノ

Twenty-Nine Palms族のカジノはCabazon族のカジノのすぐ隣にありました。距離的には5分程です。Cabazonのカジノに比べて少しだけ地味な感じです。

カジノの中はどこでも似たような物なのですが、嬉しいことにこちらのカジノには部族についての説明と展示がありました。

こちらの部族は居住地が二つに分かれているのですが、もう一つの方にもカジノがあるようです。

Twenty-Nine Palms族の文化

この部族は砂漠の民なのでそんな周囲の地形や気候に対応した文化があったようです。灼熱のモハビ砂漠を徒歩で旅行するために水源がある場所など把握していたそうです。

また通り道には食料倉庫も用意していたとか。↓これなのかしら?

でもこれだと目立ちすぎて関係ない部族が取って行きそうです。

これが伝統的な住居はだったようです。

日本の竪穴式住居に少し似ているような、、、

続く

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