アメリカ先住民の部族について書きます。
チェロキーの歴史
Why Do So Many Americans Think They Have Cherokee Blood?
チェロキーは元々アパラチア山脈の地域 (Virginia, West Virginia, Kentucky, North and South Carolina, Georgia, and Alabama) に住んでいた先住民です。彼らは母系社会で女性たちは一族の中心になりいろいろな決定をする大きな権限を持っていました。
アパラチア山脈と言えばヨーロッパ人が一番先に住み着いた地域です。チェロキーの女性達はヨーロッパ人の商人と結婚し取引することによって自分達が持っているものを高価な品物を交換することを覚えました。チェロキーの人達はヨーロッパ人が持っている金属、銃、衣服、ヨーロッパ人達は毛皮などを欲しがっていました。
チェロキーとヨーロッパ人の婚姻は17世紀から18世紀にかけて多く行われましたが、一体何人のチェロキーがヨーロッパ人と結婚していたかは不明です。
チェロキーの人達は様々な白人の生活の仕方を学びチェロキー新聞なども発行していました。中には18世紀から19世紀にかけて黒人奴隷市場で黒人奴隷を購入して使うことを覚えました。当時7%ぐらいの裕福なチェロキーの家庭が黒人奴隷を所有していたそうです。
アメリカ政府の先住民強制移住計画
アメリカ先住民はヨーロッパ人がアメリカに来るより1万年ぐらい前からアメリカに定住していました。しかし新しくできたアメリカ政府は先住民が邪魔でした。新しい街を作ろうと計画しても山や川や丘のどこに行っても先住民が住んで生活しているのです。
そこでアメリカ政府がしたことはアメリカ先住民を白人にとってあまり利用価値のない地に全部まとめて住まわせることです。具体的に言えば現在のオクラホマ州。1830年代にこの地にアメリカ東南部に昔から住んでいた先住民を移動させることにしました。
元々「チェロキー」という部族は存在していなくて白人たちはアパラチア山脈一帯に昔から住んでいた先住民をまとめて「チェロキー」と名付けていました。
この決定については何人もの知識のある人達や良心のある白人たちも反対意見を述べていたのですが反対する人達は逮捕されるか白人社会から追放されて行きました。最後に知識のある先住民の代表がこのままではチェロキーが強制的に白人社会に同化させられるか殺される運命になると悟り強制移住計画に同意のサインをしました。しかしそれをしたのは一部の人達です。大多数のチェロキーの人達はそんなことなど知りませんでした。与えられた猶予期間は2年間。二年以内の移動しなければ強制的に移動させられる運命になりました。
涙の行進路(Trail of Tears)
1830年に強制移動が決まり約16000人のチェロキーがアパラチア周辺の州からオクラホマ州まで徒歩で強制移住させられました。彼らの隊列の後ろには白人の軍隊がついてきて遅くなった人達を追い立てて歩かせるのです。この移動で多くの老人や子供達が衰弱して死にました。約4000人が死んだと言われています。
チェロキーの言い伝えでは移動する途中で白人達の町を通るのですが、先住民達の行進をたくさんの白人たちが見物して見ていたそうです。多分白人達もいろいろな感情を持って衰弱をしながら徒歩で追い立てられるように移動させられる先住民を見ていたのだと思います。
その後先住民達が住んでいた土地は白人開拓民たちに分配されたました。
この強制移住の行進にはチェロキーが所有していた黒人奴隷も一緒に連れていかれ一緒に歩いて行きました。
オクラホマ州の先住民居住区
オクラホマのインディアン居住区 (1800年代)
現在のオクラホマ州が先住民の居住区に決まりアメリカ東部に元々住んでいたインディアンのたくさんの部族を強制移住させました。私がオクラホマで見た「マイアミ族居住地」という場所は多分フロリダに住んでいた部族だと思います。また「アイオワ族居住地」という看板も見かけましたからアイオワのどこかに住んでいたインディアンもオクラホマ州に移住させられたアイオワ州周辺に住んでいた一族かもしれません。
続く: