オートマンというルート66沿いの町に行った時のことについて書いたブログでオリーブ・オートマンについて少し触れました。その女性のことについて書きます。
目次
インディアンに拉致された少女
オリーブ・オートマンは1837年にイリノイ州のモルモン教徒の家庭に生まれました。兄弟姉妹は全部で7人いました。彼女は多分3番目です。
1850に彼女の家族はモルモン教の仲間たちと西部に向かって移動していました。1851年にアリゾナ州に到達した時彼女の両親はなんらかの理由で仲間たちと離れ家族だけで単独で移動していました。その時インディアンの部族に襲われ家族がほとんど皆殺しになったのです。そして14歳のオリーブと7歳の妹のマリーアンはインディアンに拉致されて連れて行かれました。実はもう一人15歳の兄ロレンゾが瀕死の状態のまま現場に放置されたのですが、運よく死なずに生き延びていました。しかしオリーブ達はそのことは全く知らず全員殺されてしまったと思っていたそうです。
最初のインディアン部族との暮らし
彼女たちを拉致したインディアンの部族は貧しくかつ敵対的でした。拉致された当初は彼女達は脅され、命の危険も感じたそうです。その後彼女達は農作業や水運び、家事等に奴隷として利用されました。殴られたりレイプもされたようです。
こんな生活が一年間続いたそうです。
二番目のインディアン部族との暮らし。
一年後にナバホインディアンがこの村を訪れた時、二匹の馬と毛布、野菜、その他の品々と交換に彼女ら姉妹をもらい受け自分達の村に連れて行きました。カリフォルニア州のニードルの近くです。
このナバホインディアンの部族は最初の部族より豊かで余裕がありました。そのためこちらの村での生活は前の村に比べて格段に良いものでした。またこの部族の長は彼女たち姉妹を家族の一員のように扱ってくれたのです。特に彼の妻と娘は彼女達姉妹のことをとても気にかけてくれたました。
部族長は姉妹に農業のできる土地を与え、部族の一員である印のタトゥーを体や顎に入れました。このタトゥーは死後に行く場所でナバホ族の先祖が自分達の子孫を見分けるために必要なのものです。そして部族の名前も付けられました。ということはナバホ族に受け入れられナバホ族の一員として生活していたのです。
しかし1855-1856年頃にあった飢饉の食糧難で妹のマリーアンは餓死しました。
ナバホインディアンとの生活は4年間続きました。その間に白人がこの村を訪れ滞在したことがあったのですが彼女は名乗り出ませんでした。理由は彼女は自分の家族は全員殺されていて誰もいないと思っていたのです。しかもナバホ族の人達が家族同然に扱ってくれたので名乗り出る必要性は感じなかったようです。
白人社会に戻る
5年も経ったころにはナバホインディアンの村に白人の女性がいるらしいという噂が広がっていました。その結果ユマという町の役人が部族の所にやってきて彼女を返すように要求する令状を持ってきました。
ナバホ族の人達は最初は拒否、オートマンは白人ではないと主張。さらにオートマンに対する愛情も述べました。そこでいったん使者は帰り、作戦を変えてもう一度やって来ました。今度は毛布と白い馬と交換するという条件です。しかもこの条件を受け入れない時はナバホの村を破壊すると脅迫もしたのです。その後話し合いの末オートマンは白人社会に帰ることになったのです。
ナバホ族のタトゥー
フォートユマに行くには20日間かかりました。部族長の娘も付き添ってきました。その時の彼女の様子はナバホインディアンと同じで上半身は裸の体にタトー、下半身はナバホ族のスカートをはいていました。
(参考写真:1880年頃のナバホ族の女性のタトゥー)
この格好では白人社会に戻れませんから軍人の妻の服を借りて白人社会に戻りました。しかしその着替えの時に好奇心いっぱいの人達の注視の中で服を着たそうです。
その後すぐ彼女の兄が生きて生きていることを知りました。兄は妹たちをずっと探していたのだそうです。
有名人としての生活
彼女はナバホ族の生活から白人社会に帰ったことで一挙に有名人になりました。そして本を出版。その本はベストセラーになりました。書いた人は別の人でしたが、著作権料は入って来たようです。そのお金で兄のカレッジの授業料を払いました。彼女は本の宣伝のためスピーチをして回ったようです。
その後の人生
彼女はナバホ族との生活をとても懐かしがり涙を流して暮らしたそうです。子供の頃の友達で再会後にも交友を続けた友人は彼女はナバホ族との生活の間に二人の男の子を授かっていたと語っています。しかしオリーブ・オートマンはそのことは否定。友人間の個人的な話を友人が暴露したのか、噂に尾ひれがついて広まったのかわかりません。
その後裕福な男性と結婚し平凡な人生を送りました。子供は出来なかったようで養女をもらい育てました。そして65歳で亡くなりました。
彼女の経験は当時としてもとても珍しいことなので小説や映画にもなっています。
オートマンという町
私が訪れたオートマンという町はオートマンとナバホインディアンが住んでいた町の近くのニードルの近くです。
(地図:オートマンは右上、ニードルは左下の赤丸、下の青い部分がハバス湖)
この町が発展したのは1915年に金が発見されたからです。ですからオートマン事件があった60年後、オリーブ・オートマンの死後の約10年後です。この近くであった有名な出来事だったためそれを記念してオートマンという名前が町の名前になりました。
個人的な疑問
ナバホ族のタトーは死後の世界でご先祖様と会うために付けられたものだそうです。当然現在のナバホ族は伝統的なタトゥーはしていないと思います。そうなると死後の世界で困りますね。タトゥーの代わりにナバホ族の歌を歌うとかナバホ族だけに通じる合言葉を考える必要がありそうです。
関連ページ:AZ–Lake Havasu 4/5 オートマン
コメント
最近お忙しいのですか?
すいません。ご心配かけまして。
忙しさと暑さと怠惰さが混じって更新が滞っています。