人物02:ジャコモ・カサノヴァ 2/3

カサノヴァの人生:前半の成功

ジャコモ・カサノヴァは1925年にベネチア共和国で生まれました。母は女優で、他に4人の弟妹がいました。当時としては運よく大学に行かせてもらい法学の勉強をします。1700年代に大学に行くと言うことは超エリートの教育を受けたと言うことです。子供の頃はとても冴えない子だったそうですが、学校に行きだすとだんだんと才能を発揮しはじめ優秀な学生として卒業しました。

大学を卒業後は法学士、神学士、音楽家と次々と職業を変えます。理由は本人の一つの職業にかけるやる気のなさと何でもできるというあやふやな気持ち、そして若さゆえの傍若無人さからトラブルを招いたためでした。

数年後人生最初の幸運に遭遇します。ベネチアの有名貴族が発作で死にそうになった時適切な処置をして助けたのです。その貴族は子供もいなく、カサノヴァを気に入ったため養子のように世話をすることになります。その貴族は貴族階級の生活方法やマナーを教え、小遣いまでくれるようになったのです。

若い彼は享楽都市ベネチアで人生を楽しみます。しかし必ずしも万人受けすることばかりではありませんでした。無責任な性格が災いして何度もトラブルを招きます。そして彼自身は記憶にない罪でベネチアの牢に入れられます。しかし難攻不落と言われたベネチアの牢から逃げ出し、ヨーロッパ中の噂になり超有名人になるのです。でもベネチアの法律を破って逃げ出した訳ですからベネチアには帰れなくなり、その後はヨーロッパを放浪して歩く人生になります。

その後フランスに行き、フランス語を勉強。フランスの上流社会の人たちと付き合いを始めます。フランスのルイ15世にもその夫人にも会っていることが記されています。ルイ15世は年上の夫人との熱が冷めた後、さまざまな女性達と遊びますが、それらのことも詳しく記載されています。また当時のフランスの上流社会の倫理観も破綻していてかなり乱れたものだったようです。そんなヨーロッパ上流階級の生活も詳しく記されています。

しばらくフランス生活をしている間にフランスで第二の幸運をつかみます。フランス国営の宝くじの発案者になり巨万の富を築くのです。しかしここまでが彼の人生の最高潮でした。後は下り坂になります。下り坂になった原因はギャンブルです。せっかくつかんだ富をギャンブルで全て失ってしまうのです。

カサノヴァの人生:後半の苦闘

その後はヨーロッパ中を放浪し、再起をかけます。時には劇作家になったり、時には俳優になったり、時にはスパイとして生きてゆきます。頭が良くてセンスが良いので何をやってもかなりの高水準の成果を残すことができる才人でした。そしてベネチアには帰ることができないこともあり成功を求めてヨーロッパ中を放浪して回ります。彼は有名人ですからいろんな伝を使って各地の上流階級の人たちに会うことはできます。当時のヨーロッパ各国の王様やロシアのエカテリーナ二世にも会っています。

再起を図って長年努力をするのですが結局上手く行かず老年を迎えます。そして最後はヨーロッパの田舎の貴族に雇われて住み込みの図書館の司書としての人生を最後を迎えるようになるのです。この司書としての生活は非常に惨めなものだったらしいです。一応衣食住は保証されているものの、田舎過ぎて周りにいる人たちが彼が人生をかけて得てきた社交的な価値を認めてくれる人がほとんどいなかったからです。当時のヨーロッパの田舎ですから多分文字を読める人たちすらあまりいなかったと思われます。

そんな惨めな生活をしていた彼にある貴族から自叙伝を書かないかと持ちかけられたのです。そして彼は人生最後の日々を自叙伝を書くことだけに使いました。10年間の間彼は自分の人生の軌跡を微に入り細に入り書いて書いて書きまくりました。老年の現実の惨めさを忘れるため過去の楽しかったことを思い出しながら自分の人生を紙の上に書き留めました。しかし人生最後までの自叙伝と銘打っていますが、最後の10年間程は転落の一方の人生だったため思い出すのも辛いため書いてはいません。

自叙伝の行く末

長年かけて書いた自叙伝は結局彼が生きている間に出版社に売ることができませんでした。売る前に彼は亡くなってしまいます。そして自叙伝の原稿はカサノヴァの甥が相続しました。しかし甥の時代には売却ができませんでした。その後甥の子孫が二束三文でドイツの出版社に売り渡します。原稿を手に入れた出版社は彼の自叙伝の各所をはしょったり、適当に削除したり、加筆したりしてドイツ語版を出版しました。これはかなりのベストセラーになります。そのベストセラーをみてフランス語の海賊版が出回ります。それに対応してドイツの出版社がフランス人の翻訳者を雇って出版。しかしこの翻訳者は各所を削除したり自分の意見を入れたりして原作とは少し違うものになっていました。その後元の原稿が初めて完全出版されたのは1960年です。

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