1348年:黒死病

1331年頃からアジア地域で原因不明の流行病が発生して西へ広がり続けていました。しかしその症状を詳しく記録した人がいなかったのでしょう。アフリカの諺、 “Until the lion learns to write, tale of the hunt shall always glorify the hunter” 。この場合 the tale of the plague were written by Europeans ということになりますが。。。

The Plague Documentary Hq History Channel
wikipedia Black Death
流行病が広がったのはモンゴル帝国の下で東西交易が活発になったためだと言われています。ヨーロッパで最初に黒死病が記録されたのはクリミアの町カファです。モンゴル軍がこの町を攻めましたが、結局は陥落させることができませでした。しかしモンゴル軍はとんでもない置き土産をして行きました。流行病に感染した死体を街の城壁の中へ投げ込んで撤退したのです。1347年のことです。

おかげで街では流行病が蔓延して死者が続出、その街に交易できていたイタリア人商人たちは船で逃げ出しました。しかし病気を持ってです。そのイタリア人船団はシシリー島に流れ着き、シシリー島に病気を流行らせました。そしてほかの船団はジェノヴァやベニスに到着、しかしピサの町が最初に病気が流行してヨーロッパの流行の発生点になったのです。これが1348年の1月です。

この後1348年にヨーロッパの全域に南から北へ急速に広がりました。その広がり方はこんな具合です。1348年の6月までにフランス、スペイン、ポルトガル、イギリス。1348年から1350年にかけてドイツからスカンジナビア半島へ。ノルウェイには1349年に。ロシアへは1351年に。 中東へも広がりました。1347年にエジプトのアレキサンドリアへ。1348年から1349年にかけてガザ、レバノン、シリア、パレスチナ、バグダットへ。1351年にはイエメンで病気の大流行が記録されています。

症状ですが、首の付け根、わきの下や腿の付け根にりんごか卵ぐらいの大きな腫瘍ができます。腫瘍は裂けると出血します。高熱、血の嘔吐、体中に斑点腫瘍が出、感染後4日から8日ぐらいで死亡します。wiki では現代医学で解析している症状と致死率の違う三種類のものが紹介されています。

この流行病が当時の社会に与えた影響は甚大でした。何しろヨーロッパの人口の約半分が死亡したのです。流行病はヨーロッパの町へ次から次へと広がって行き、病気が流行した町では約半分の人口がばたばたと死んでいったのです。当時10万だったパリの人口の半分死亡。イタリアのフローレンスでは約60%ぐらい死亡。ドイツのハンブルグでも60%死亡。エジプトでも全人口の40%死亡。

現在のような進んだ医学や衛生観念がなかった当時は流行病に対して何の対策も打てませんでした。人々は疫病の解決を信仰と迷信とデマの中で探し迷走していました。

鞭打苦行派の台頭と異教徒の迫害wikipedia Flagellant
庶民は救いを信仰に求めました。頼りにならないカトリック教会ではなく鞭打苦行派の人々にです。彼らはflagellant=鞭打苦行派と言いますが、鞭に釘などをつけて自分の体を叩き苦行をするのです。集団で体を鞭打ちながら町々を練り歩いてゆく宗教集団です。鞭打苦行派はあっという間に流行し熱狂的信者を増やしてゆきました。流行した別の理由のひとつにはこの鞭打苦行派の流れに参加しないと迫害される可能性もあったからです。疫病を流行らせている張本人だというレッテル張りです。しかし最初は様子を見ていたカトリック教会もしばらくして異端として処罰しました。

また人達は(キリスト教からみて異端である)ユダヤ教徒たちを怒りの対象として迫害を始めました。ヨーロッパ中のいたるところにあるユダヤ人居住区が焼き討ちにあいました。これらの迫害で住居を失ったユダヤ人たちは当時ただ一つ迫害をしていなかったポーランドに移住していったそうです。国王の愛人がユダヤ人であったためユダヤ人に対して友好的な感情を持っていたからです。

社会構造の変化
黒死病で人口の約半分がなくなったことでヨーロッパの社会は劇的な変化を遂げました。労働者の不足です。以前は安い労賃でこき使われていた農奴たちは高給取りになり、さらに運の良い人達は遠い親戚の遺産を全て受け継ぎました。家族も親戚も全員死んでしまった人の遺産を勝手に取ってしまった人達もいたかも知れません。

黒死病で死んだ人達はそのほとんどが普通の平民か農民であり貴族やお金持ちたちは遠隔地の居住地に身を隠したためあまり流行病の影響を受けませんでした。しかしながら領主や荘園主達は以前はありあまる労働者たちを安い給料で使っていたのに労働者がいなくなったため昔のような経済生活ができなくなりました。これはかなり劇的な社会変化でした。

当時は「大疫病」と言われており「黒死病」という言葉は約三百年ほど経った17世紀に初めて使われました。タイトルですが、黒死病が流行ったのはは1347年から1351年ぐらいの間です。しかし1348年に一番劇的な広がりをしたので1348年を選びました。

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wikipedia — Black Death
etiology (9581) — 病因(学),因果関係学
pathogen (4505) — 病原体
arid (14800) — 乾燥した,不毛の,異常に乾燥した
rodent (6918) — げっし動物,齧歯類の,かじる
marmot (24221) — 【動物】マーモット
inscription (9656) — 銘
protracted (13267) — 長引く
groin (11428) — 穹稜,(解剖)鼠蹊(そけい),腿の付け根
ooze (14181) — にじみ出る,漏れる,泥
infallibility (23381) — 絶対無謬性
gangrene (24134) — 【病名】壊疽,脱疽,柔らかい組織の死滅状態
necrosis (7391) — 壊死
glum (21921) — むっつりした,ふさぎ込んだ,浮かぬ顔の
gloom (11720) — 薄暗くなる,暗がり,薄暗がり,陰気,沈んだ様子

wikipedia — Flagellant
mortification (24233) — くやしさ
heretical (23019) — 異端の,異教の,異説の
fervent (12711) — 熱烈な,誠意を込めた,強烈な,熱い,焼ける,燃える
eunuch (22443) — 去勢された男(特に東洋の宦官)
flog (20915) — むち打つ,なくす
penance (14191) — ざんげ,懺悔,苦行,いやだがしなければならないこと
ascetic (19522) — 禁欲主義の,苦行中の,苦行の,苦行者の,禁欲的な,修行僧,修道僧,禁欲者,隠者
zealot (13463) — (通例けなして)熱狂する人,狂信者,熱狂者
psalm (16410) — 聖歌,賛美歌
hymn (11240) — 賛美歌,聖歌
penance (14191) — ざんげ,懺悔,苦行,いやだがしなければならないこと
scourge (13136) — 悩みの種,災い,災害の元,苦しめる
relic (7087) — 記念物,遺物,遺跡,遺風,なごり,面影
heresy (14511) — 異教,異端,異説,反論
sacrament (19078) — 神秘,秘跡,聖体
ecclesiastical (18556) — 教会の
resurrect (10846) — 復活させる
penitent (15979) — 悔い改めた,後悔している,罪を悔いる人
stake (2420) — をはっきりさせる,を主張する,を賭ける,資金を与える,杭,支柱,火刑,賭け,利害(関係)

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