「リチャード三世」の発見

リチャード三世の遺骨の発見

2010年に英国のリチャード三世の遺骨が発見、特定されました。特定されたことは歴史好きな私に取っての大ニュースでした。私は歴史好きなのでその関連ニュースや関連動画をむさぼるように追っていました。例を挙げれば下記のようなドキュメンタリー動画を飽きることなく何度も何度も見ました。

The Skeleton in the Car Park: Richard III and the legacy of his re-discovery
(The British Academy offical 公式チャンネル)

遺骨の捜索

リチャード三世を探していた人たちはまず歴史上の記述から彼が埋められたであろう場所を特定しました。特定と言っても当時の建物等はもうありませんから、古い地図を探してきて現在の地図に重ね合わせ、多分ここだろうと推測して地面を掘り始めたのです。

歴史上で描かれているリチャード三世の特徴は次のようなものです。年齢33-34歳、細身、背骨が曲がっている、戦いで負傷し、頭に傷を負って死んだ。すると該当する特徴にぴったりする骨が出てきたのです。

特徴にぴったり一致する骨は出てきたのですが、絶対的な証明にはなりません。絶対的な証明をするためにはDNA検査をしなければなりません。

DNA で特定

この研究チームはDNAの特定をするために長い期間古文書を調べていたようです。リチャード三世と彼の兄弟の子孫は既に途絶えています。証明できるDNAはリチャード三世の母のDNAを延々と受け継ぐ女系の子孫たちです。リチャード三世の母のDNAは彼女の全ての子供に受け継がれています。しかしその男系子孫たちが結婚して出来た男子は彼らの母のDNAを受け継ぐことになります。ですからリチャード三世の母から連綿とつながる女系の子孫を探せばチャールズ三世のDNAと一致するのです。

男系の子孫はY遺伝子を受け継ぐわけですが、DNAの検査をする場合DNAの信頼性はあまりありません。家計図の書類上で男系の子孫であってもその子孫が必ずし書類上の父親の子供とは証明できないのです。母が産んだ子供が夫の子供でない可能性もありますし、跡継ぎの男子が生まれないと家系を守るため赤ちゃんを取替えた可能性もあるのです。赤の他人とは言わずに親戚の子供と取り替えることもありです。

女系のDNAの方が証明されやすい理由は女子なら間違いなく出産した子供はその母のものであるのがわかりますが、父親の場合生まれた子供が間違いなく書類上の父の子供であるとは限りません。

リチャード三世の姉、ヨーク公夫人アンの二人のひ孫の15代目の女系子孫と17代目の女系子孫を探し出しDNA検査をしました。二人のDNAは見事一致し、さらにこの二人のDNAは発見されたリチャード三世のDNAと一致したのです。

この調査団の人たちは男系子孫のDNAについても調べています。リチャード三世の直接の子孫はいませんが、男系の4世代前の「エドワード三世=1300年代」の子孫が存在しています。その男系の子孫を調べたところ700年間のうちに書類上二回父親が違って子孫に伝わっていることが判明しました。面白すぎると思いませんか。

リチャード3世協会

これらの発見の中心的役割を果たしてしてきたのが「リチャード三世協会」といういわばリチャード三世のファンクラブなのです。リチャード三世はシェークスピアの劇の中で悪役に描かれています。リチャード三世の死後イギリスを支配したのは政敵であるチューダー家。シェークスピアはチューダー時代のお抱え作家のような存在でした。偉大なる劇作家のシェークスピアによって悪役に描かれてことで悪役のイメージが後世に語り継がれてきたのです。それを事実とは違うと訴えてきたのが「リチャード三世協会」なのです。

この協会の中心的な役割をしてきた女性は資金を集め、専門家に相談し、発掘を始めたのです。多分これほど熱心な人たちがいなければ今回のリチャード三世の発見は無かったのではないかと思います。

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